セミナー・シンポジウム(2009)

第3回錯覚ワークショップ-横断的錯覚科学をめざして-

日時 : 2010年9月13日(月)

会場 : 明治大学駿河台キャンパス紫紺館4階会議室


感想文:


  • 福田玄明氏 『主観色錯視による色覚メカニズムの研究』 を聴いて
     本講演では「光には色はついていない」ということを契機に、脳内処理過程において主観色というものが存在し、これが起因して錯視が起きるということが紹介されました。

     中学、高校の物理学では、色の発生メカニズムとして、光の波長や強さなどが関係していると学びました。確かにこのこと自体は否定できない客観的な事実だと思います。しかしその色を認識する人間の立場になると、脳の機能の仕方で色の見え方(=主観色)が異なると容易に想像できます。ではなぜこのような違いが起こるのかを解明するために今回の報告では、空間周波数というものを用いるとこの違いを説明することができるということでした。

     私は経済学を主に研究しており、このような主観と客観が異なる問題として、経済学においては各個人の満足度を示す「効用関数」の問題がすぐに思いつきます。この問題は未だ研究対象となっており、様々な考え方が提案されています。例えば神経経済学という分野では人間の脳波を調べて、なぜ人間がある特定の状況において、非合理的な行動を行うのかということを解明しようとしています。さらには感情と行動の関係や制度設計に関しても、現在研究が進んでいます。そこでこの神経経済学において、今回の講演にあるような「錯視」という視点をも取り入れることでさらに人間の認知メカニズムの解明、よりよい制度設計につながるのではないかと感じました。

     このように主観と客観とのギャップは学問が抱える根本的な問題の1つであり、人間の認知メカニズムの解明や制度設計をする上でも重要でかつ、このような錯視ワークショップにあるような学際的なアプローチが重要であると改めて感じました。

    吉川満 (MIMS Ph.D. 学生)

  • 伊藤大雄氏 『パラドックスと錯覚』 を聞いて
     「少しでも後方から出発すれば、アキレスが亀を追い越すことは不可能である。」これは古代ギリシャ時代より伝わるゼノンのパラドックス(逆理)と呼ばれ、今なお数学教育の場で挙げられる有名なパラドックスの一つである。

     講演者の伊藤先生のご専門はネットワークなどに関する離散数学であり、もう一つが講演内容のパラドックス研究に関わる「娯楽数学」である。講演では、古来より提唱されたさまざまなパラドックスが紹介され、どうしてこれらのパラドックスが正しいと我々が錯覚してしまうのか、その仕組みが次々と紐解かれていった。中でも「サンクトペテルスブルグのパラドックス」と呼ばれるある(確率)試行に関するパラドックス、直感的には得をするとは思えないのだが一方期待値を計算すると無限大となること、をどのように違和感なく理解すべきかについて問題提起がなされた。

     数学の研究者としては恥ずかしながら、私はこの手の問題が苦手である。仮に本講演内容を聞かずに、サンクトペテルスブルグのパラドックスについて知人から尋ねられたとしたらどう答えるだろうか。恐らく身も蓋もなく「こういう場合、期待値は当てにならない」が私の答えである。しかし、もし続けて「じゃあ期待値が当てにならない場合はどういうときか?」と質問を受けたら…、どんどんぼろを出すかもしれない。やはり数学者の肩書を背負う以上、論理的に解決されなければならない。

     そもそもパラドックスとは何なのだろう。単なる言葉遊びの類いなのであろうか。いやいや、そうではない。伊藤先生はこうしたパラドックス解消への取り組みが現代数学の発展に不可欠であったことを強調された。実際に上に挙げたゼノンをはじめとするパラドックスの多くは無限概念の成立に重要な役割を果たしており、サンクトペテルスブルグのパラドックスも経済学における効用関数の概念を生み出した(パラドックスが解決されたかどうかは別にして)。パラドックス研究の進歩は数学の発展を促すのである。

     伊藤先生の講演ではこのようなことを再確認することができ、非常に有意義な「娯楽数学」の時間を堪能することができた。

    若狭徹 (明治大学 研究推進員)

  • 蘭悠久氏 『消失錯視と知覚的フィリングイン』 を聴いて
     蘭氏の講演では、「消失錯視」と呼ばれる物理的に存在するものが知覚的に消える視覚現象、及び、その際に背景色で充填されるフィリングイン現象が取り上げられていた。よく知られている消失錯視として、片目を閉じた状態で丸の書かれたレジュメを注視し、そのまま前後に動かすと、ある位置でその丸が消えるというものがある。これは情報が盲点に入ってしまったために生じる現象であるが、この消えた瞬間、丸があった場所は背景の色で"埋め尽くされている"ように見える。この現象が“知覚的フィリングイン”である。これは、目に映っていないのに見えてしまう錯視現象と考えられ、ものが消える消失錯視に対して、人の視覚が進化した結果獲得した情報処理能力の高さを示唆するものである。つまり、人には視覚を通じて得た物理世界からの情報が盲点によって欠損した場合に、知覚的情報処理によって情報を補うことで、知覚世界をできるだけ現実世界と同じように復元する能力を進化とともに獲得したと考えることができ、人の進化の偉大さに驚かされた。

     また、この錯視現象の応用の一つとして、「水彩錯視」を紹介されていた。これは、真っ白の背景にあるデザインを書き、A・Bと二つの領域に分割する。その細い境界線にグラデーションを施すと片側は白い色に見えるが、一方には、水彩で薄い色が塗られているように見える錯視である。この錯視現象は、服飾にうまいデザインを施すことでファッションとしての応用、芸術への発展などエンターテイメント性の高い錯視現象と考えられる。

     本講演を聞き、フィリングイン現象という錯視現象を知った。こういった様々な錯視現象は、ただの不思議なおもしろい現象として留めるのではなく、社会を豊かにしていく応用性に富んだ現象であることを改めて強く感じた。

    友枝明保 (明治大学 研究推進員)

  • 吉田正高氏 『記憶の錯覚とアニメツーリズム』 を聴いて
     本講演では「アニメツーリズム(聖地巡礼)」といわれる社会現象についてその一因に、ある種の「記憶の錯覚」が起きているとして、架空の世界がなぜ現実の行動へ結びついたかを解説されていた。キッズカルチャーとしてあえて非現実的に描かれていたアニメーションは、商業的、文化的進化をしていく中で、より現実的な世界を描くに至った。実在の地名や景観を作品中に登場させることは、ある種の既視感を経て作品への親近感に繋がると同時に、ある種の「記憶の錯覚」を生んだ。またその制作過程にデジタル技術が導入され、非現実的な世界を描写するために用いられていたCG表現は、より日常に近い現実的風景を描写することを可能にした。その結果、現実的風景の中に非現実的な世界がとけ込む作品が作られることになっていった。そのようにして作品に登場した現実の場所は、「見えないもの(非現実:アニメーション中の表現)が見え、見えるもの(現実:アニメーション中には表現されなかった汚点)が見えない」ある種の『特別な場所』として錯覚される。そこに日本人の「名所」観と参拝行動が結びついたものがアニメツーリズムと呼ばれる社会現象になったと吉田氏は解説をされていた。

     また、このようなアニメツーリズムの動きは、新たに観光宣伝として商業的にも利用されるようになっているとのことである。この話を聞いたときに、AR(Augmented Reality) と呼ばれる表現方法を目にする機会が近年増えていることを思い出した。これは拡張現実感などと訳され、現実環境に電子情報を付加提示することで、例えば街中の広告や道案内、小売り物への情報付加に利用され始めている。「見えないものが見え、見えるものが見えない」世界が既に身近にあるといえる。錯覚とは「あるものについての知覚が客観的事実と食い違うこと」(大辞林) とある。錯覚の研究がすすめば、錯覚を積極的に利用した社会をデザインすることで、新たな価値を作り出すことができるのではないかと思った。

    山口将大 (MIMS Ph.D. 学生)

  • 荒川薫氏 『錯覚とディジタルエステ』 を聴いて
     女性は一般に自分の顔をきれいに見せるために化粧をする。化粧は一種の錯覚といえる。ディジタルエステとは、PCやホームページ上の写真、テレビ電話(スカイプ)の画像などのディジタル機器を通すときに、化粧に対応することをコンピュータ上でおこなうことである。本講演はデジタルエステ技術の手法についての解説であった。

     入力は顔の写真、出力はディジタルエステを施した写真である。講演で紹介されたディジタルエステでは、1:肌の整備,2:皺やしみの除去,3:小顔化がなされていた。その中心的な技術はε-フィルタという非線形ディジタルフィルタであり、原画像とのデータ数値差が常に(ある小さな数字)ε 以内に収まる、平滑化しすぎないように制御できる方法で、これにより自然な滑らかな肌が作成される。周波数と振幅の調査により皺やしみを表す領域だけにε-フィルタをかけてあった。そして、ディジタルエステをおこなう人の好みに合わせて写真を変化させる方法として、多くのパラメータを直接変更するのではなく、対話型進化計算が用いられていた。

     私もコンピュータを用いて研究をおこなっているが、人が「したいこと」をコンピュータの中で実現するのは易しくない。理由は「したいこと」をデジタル化するのが難しいからだと思う。本講演では「したいこと」をコンピュータの中で実現するプロセスが述べられており、個人的にとても有益であった。とくに、非線形ε-フィルタのアイデアもさることながら、進化計算などと組み合わせて、「したいこと」をコンピュータの中で容易そうに実現しておられたことが驚きであった。そして、できあがった写真はこわいほど素晴らしく、大きな将来性を感じた。このような錯覚(ディジタルエステ)が施された写真がネット上などで普通になるのかしら?錯覚技術ってすごい!

    野津裕史 (明治大学 研究推進員)


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