現象数理学三村賞
現象数理学三村賞
現象数理学三村賞 授賞式および記念講演会のお知らせ
明治大学先端数理科学インスティテュート(MIMS)は、文部科学省から共同利用・共同研究拠点としての認定を受け、「現象数理学」研究の拠点として活動していますが、その活動の一環として2017年に「現象数理学三村賞」を創設しました。この賞は、数理モデルの構築・解析を通して自然や社会に現れるさまざまな現象に潜む謎を解き明かし、自然や社会を深く理解する枠組みとしての数理的視点の重要性を広く世間に伝える活動で顕著な業績をあげている研究者を表彰し、現象数理学の更なる発展を図ることを目的としています。毎年、若干名の受賞者を選び、授賞式と受賞者による記念講演会を催しています。
なお、2021年度より、三村賞の中に奨励賞を新設しました。「現象数理学三村賞」は、長年にわたる顕著な業績により当該分野の研究の流れに大きな影響を与えている方を対象としており、「現象数理学三村賞奨励賞」は、現象数理学の分野で極めて優れた成果をあげた概ね40歳以下の研究者で将来さらなる研究の発展が期待される方を対象としております。
2017年度授賞式 2018年度授賞式 2019年度授賞式 2020年度授賞式
2021年度授賞式 2022年度授賞式 2023年度授賞式
2023年度 授賞式・記念講演会
現象数理学三村賞:
平岡裕章 氏
(京都大学高等研究院・高等研究センター長・ASHBi 副拠点長・教授)
現象数理学三村賞奨励賞:
佐々田槙子 氏
(東京大学大学院数理科学研究科・教授)
日時:2023年12月23日(土)14:00開始
場所:明治大学中野キャンパス 高層棟3階304教室
● 受賞式のプログラム
- 14:00-14:25 授賞式
受賞者と受賞理由の紹介、賞の授与
- 14:30-15:20 記念講演1
現象数理学三村賞奨励賞受賞
佐々田槙子 氏 「相互作用する多粒子系に魅せられて」
- 15:30-16:20 記念講演2
現象数理学三村賞受賞
平岡裕章 氏 「トポロジカルデータ解析からデータ記述科学へ」
● 受賞者紹介
現象数理学三村賞受賞
平岡裕章 氏
(京都大学高等研究院・高等研究センター長・ASHBi 副拠点長・教授)
略歴
- 大阪大学工学部 卒業
- 大阪大学大学院基礎工学研究科 修士課程修了
- 大阪大学大学院基礎工学研究科 博士課程修了
- 日本学術振興会特別研究員(PD)
- 広島大学大学院理学研究科 助教、准教授
- ペンシルベニア大学数学科 客員研究員
- 九州大学マス・フォア・インダストリ研究所 准教授
- 東北大学原子分子材料科学高等研究機構 准教授、教授
- 京都大学高等研究院高等研究センター長・ヒト生物学高等研究拠点副拠点長・教授、
現在に至る
研究分野・受賞など
主な研究分野はトポロジカルデータ解析、応用数学。トポロジカルデータ解析の世界的な研究者として、数学理論の構築、計算アルゴリズムの開発、それらの科学技術分野への応用研究を推進。複雑かつ膨大なデータに対して「データの形」に着目した記述子開発を行い、特に表現論、確率論、統計・機械学習、逆問題などを用いたパーシステントホモロジーの数学的研究を通じて、トポロジカルデータ解析を強力な手法として深化かつ汎用化させることに成功した。中でも、パーシステントホモロジーを用いた構造解析手法は、次世代マテリアルズインフォマティックスの基盤技術として期待されている。また近年は生物学への応用にも精力的に取り組んでいる。
主な受賞歴に、日本応用数理学会論文賞(2004年)、藤原洋数理科学賞奨励賞(2012年)、科学技術への顕著な貢献(2016年)、日本セラミックス協会優秀論文賞(2019年)など。
平岡裕章氏は位相的データ解析の理論やアルゴリズムについての研究を遂行し、それらの物質科学、生命科学など広範な分野への応用を展開している。位相的データ解析は「データの形」に着目した解析手法であり、平岡氏は特にパーシステントホモロジーの表現論、確率論、統計・機械学習、および逆問題について研究を進め、理論的側面と応用面の双方で、この分野の国際的なリーダーの一人として活躍してきた。
平岡氏は材料科学に現れる構造解析で重要な成果を挙げてきた。アモルファスは、原子配置の幾何学的な特徴づけの困難から重要な未解決問題が残されているとともに、新材料の開発が強く期待されている物質として注目されている。平岡氏は物理学者や材料科学者と連携して、位相的データ解析を用いたアモルファス構造記述のための新言語開発に取り組んできた。また、タンパク質の構造と機能の相関について、膨大なタンパク質構造データから、物理化学的な物性値を推定する方法論を位相的データ解析によって開発した。
平岡氏はパーシステントホモロジーの理論的な側面についても成果を挙げている。サイクルの生成消滅を記述するパーシステント図を確率論的にリフトすることについて、白井朋之氏らと共同研究を行い顕著な結果を得た。また、時空間解析など応用上重要な、パーシステントホモロジーの多重パラメータ化について、多元環の表現論を用いた研究を遂行した。データの次元が非常に高い場合に、検出率のばらつきに基づくノイズが発生することから、それらが蓄積することで真の構造が得られない状況が現れる。このような場合に、パーシステントホモロジーの安定性に関する研究を行い、シングルセル遺伝子発現データのノイズ削減手法RECODEを井元佑介氏、斎藤通紀氏などとの共同研究で開発するなどの成果を挙げている。
以上のように、平岡氏は位相的データ解析の研究を牽引し、理論的な側面とともに、物質科学、生命科学への応用で顕著な成果を挙げてきた。それをもとに最近では医療、気象学、経済学などに分野の枠を超えて進出している。これら平岡裕章氏の業績は、現象数理学の形成と発展に深く寄与するものであり、その多大な貢献をここに高く評価する。
現象数理学三村賞奨励賞受賞
佐々田槙子 氏
(東京大学大学院数理科学研究科・教授)
略歴
- 東京大学理学部数学科 卒業
- 東京大学大学院数理科学研究科 修士課程修了
- 東京大学大学院数理科学研究科 博士課程修了 博士(数理科学)
- 日本学術振興会特別研究員(DC1)
- 慶應義塾大学理工学部数理科学科 助教
- 慶應義塾大学理工学部数理科学科 専任講師
- 東京大学大学院数理科学研究科 准教授
- 東京大学大学院数理科学研究科 教授、
現在に至る
研究分野・受賞など
統計物理学に動機づけられた確率論の研究、特に非勾配系とよばれる大規模な相互作用系に対するスケール極限の問題に取り組んできた。代数および幾何学的な手法も用いながら、個別のモデルに依存しない普遍的な理解を得ることを目指している。近年は、箱玉系をはじめとする離散可積分系に対する、確率論および統計物理学の手法による解析にも取り組んでいる。Webサイト「数理女子」の運営や「おいでMath談話会」の世話人なども行っている。主な受賞歴に、日本数学会建部賢弘賞奨励賞(2010年)、日本学術振興会育志賞・東京大学総長大賞(ともに2011年)、第3回輝く女性研究者賞(ジュン アシダ賞)(2021年)、藤原洋数理科学賞奨励賞(2022年)など。
佐々田槙子氏は統計物理学に動機づけられた確率論の研究、特に非勾配系とよばれる大規模な相互作用系に対する流体力学極限やその揺動問題において顕著な業績を挙げてきた。また、箱玉系をはじめとする離散可積分系に対して、不変分布やスケール極限を調べるなど、確率論的な手法による先駆的な研究を推進している。
流体力学極限は時空のスケール極限の一種で、確率論では、時空の点ごとにミクロに局所平衡状態が実現され、そのもとで局所的なエルゴード性による平均化が起きるという事実が背後にある場合に用いられる。粒子系などの相互作用系は、ミクロな時間発展の系として捉えることができるが、平衡状態が時空とともに変化していくという構造をもつ。佐々田氏はこれまでに、非勾配系のモデルとしての粒子系の研究から始め、ヤング図形の時間発展モデル、退化した飛躍率を持つモデル、Olla氏との共同研究による非調和振動子の鎖モデルなどを考察し、これと関連して粒子系の生成作用素のスペクトルの飛びの研究でも成果を挙げてきた。また、非勾配系に対して流体力学極限を証明する際に基本となるVaradhanの分解定理に関して、代数学や幾何学の手法も用いて厳密なアプローチを行なう斬新な研究も行っている。
箱玉系をはじめとする離散可積分系の確率論的な研究は2016年頃から行われ始めた。佐々田氏はCroydon氏らとともに、Pitman変換を応用し、不変分布、ソリトン分解、スケール極限の研究を進めた。特に、箱玉系をモデルとして、ソリトン分布についての一般化流体力学極限の理論を展開した。決定論的な時間発展に対する一般化流体力学極限の研究は、これまでにはほとんど例がなく、佐々田氏らの研究は国際的にも世界的に注目されている。
佐々田槙子氏は大規模な相互作用系に対する流体力学極限、離散可積分系の確率論的な研究で顕著な成果を挙げてきた。佐々田槙子氏の業績は、現象数理学の形成と発展に深く寄与するものであり、その多大な貢献をここに高く評価する。
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2022年度 授賞式・記念講演会
現象数理学三村賞:
柳田英二 氏
(東京大学・特任教授、明治大学・客員教授)
現象数理学三村賞奨励賞:
齋藤一哉 氏
(九州大学・准教授)*普段は「斉藤一哉」とも表記
日 時:2022年12月9日(金)14:30開始
開催方法: オンラインで開催 Zoom社Webinar
● 受賞式のプログラム
- 14:30-14:50 授賞式
受賞者と受賞理由の紹介、賞の授与
- 15:00-15:50 記念講演1
現象数理学三村賞奨励賞受賞
齋藤一哉 氏 「昆虫の進化と折紙の数理」
- 16:00-16:50 記念講演2
現象数理学三村賞受賞
柳田英二 氏 「非線形現象と解析学」
- 17:00~17:45 祝賀会
● 受賞者紹介
現象数理学三村賞受賞
柳田英二 氏
(東京大学・特任教授、明治大学・客員教授)
略歴
- 1979年3月 東京大学工学部卒業
- 1981年3月 東京大学大学院工学系研究科修士課程修了
- 1984年3月 東京大学大学院工学系研究科博士課程修了
- 1984年4月 金沢工業大学工学部・助手
- 1989年3月 宮崎大学工学部・助教授
- 1991年10月 東京工業大学理学部・助教授
- 1996年10月 東京大学大学院数理科学研究科・助教授
- 1998年4月 ジョージア工科大学・客員研究員
- 2000年10月 東北大学大学院理学研究科・教授
- 2010年4月 東京工業大学理学院・教授
- 2022年4月 東京大学大学院理学研究科・特任教授、明治大学総合数理学部・客員教授
現在に至る
研究分野・受賞など
専門は反応拡散系、放物型および楕円形偏微分方程式。特に、神経モデルにおけるパルス解の安定性、反応拡散系における空間パターンの形成と波の伝播、非線形楕円型方程式に対する球対称解の構造に関する研究を進めた。近年は、線形および非線形放物型偏微分方程式に現れる動的特異性の理論の構築に注力している。2002年度日本数学会解析学賞、2014年にCommemorative Medal on the occasion of 95th anniversary of Comenius Universityを受賞。2018年に日本応用数理学会よりフェローの称号を授与。
柳田英二氏は、反応拡散系および非線形熱方程式の分野で数多くの先駆的な研究を行い、当該分野の発展に大きな貢献をしてきた。初期の研究でとくに注目されるのは、FitzHugh-Nagumo方程式のパルス解の安定性に関する研究である。FitzHugh-Nagumo方程式は、神経パルスの伝播現象を記述するHodgkin-Huxley方程式の簡略化モデルという一面を持つが、それに限らず、他のさまざまな物理現象のモデルとして重要な役割を演じている。空間1次元のFitzHugh-Nagumo方程式には形を変えず一定速度で伝播するパルス状の進行波が存在することが知られていたが、その安定性は未解明であった。1985年に柳田氏は、精緻な摂動論を駆使してパルス進行波が安定であることを証明し、この分野の研究に大きな前進をもたらした。
また、2001年と2002年に柳田氏は、反応拡散系の重要なクラスである活性化因子・抑制因子系を一般化した「歪勾配系」(skew-gradient system)という新しい概念を導入し、歪勾配系の定常解の安定性が、ある汎関数のミニマックス原理で完全に特徴付けられることを示した。さらにその結果を用いて、凸領域上で定義されたFitzHugh-Nagumo方程式の安定定常解が定数しかないことを証明した。この研究は、活性化因子・抑制因子系という既存の題材を新しい枠組みで捉え直すことで、その背後に潜む普遍的な数理構造に光を当てた画期的な成果である。
柳田氏は、この他、球状星団モデルなどに現れる半線形楕円型偏微分方程式の球対称正値解の完全な分類や、非線形熱方程式の解の爆発に関する新しい臨界指数の発見など、応用範囲の広い理論的成果を次々と上げている。また、2004年には、ある種の非線形拡散方程式に「モグラたたきゲーム」(whack-a-mole)を彷彿させる不思議な挙動をする解が存在することを証明し、多くの研究者を驚かせた。
最近、柳田氏は動く特異点をもつ非線形熱方程式・拡散方程式の解の研究を精力的に進めており、独自の新しい世界を切り開いている。これは、時間が経過しても消えない孤立特異点を有する解に関する研究である。特異点の位置が動かない解の存在は知られていたが、2009年に柳田氏は、特異点の位置が空間内で変化する解、すなわち動的特異点をもつ解を非線形熱方程式に対して構成することに世界で初めて成功した。その後、柳田氏は動的特異点をもつ解の系統的な研究を続け、動かない特異点を扱うだけでは見えなかった方程式の奥に潜む深い構造を次々と明らかにした。この成果は、今後さまざまな応用につながる可能性を秘めている。
以上のように柳田氏は、応用から純粋理論まで幅広く優れた成果を上げてきた。同氏の業績は、現象数理学の形成と発展に大きく貢献するものであり、ここに高く評価する。
現象数理学三村賞奨励賞受賞
齋藤一哉 氏
(九州大学・准教授)*普段は「斉藤一哉」とも表記
略歴
- 2005年3月 京都大学工学部卒業
- 2007年3月 京都大学大学院工学研究科修士課程修了
- 2009年3月 東京工業大学大学院理工学研究科博士後期課程修了
- 2010年4月 JAXA宇宙科学研究所・JSPS特任研究員(PD)
- 2012年1月 東京大学生産技術研究所機械・生体系部門・助教
- 2017年6月 東京大学大学院情報理工学系研究科・特任講師
- 2019年1月 九州大学大学院芸術工学研究院・講師
- 2022年12月 九州大学大学院芸術工学研究院・准教授
現在に至る
研究分野・受賞など
航空宇宙工学、機械工学を主なフィールドに、折紙の幾何学や生物模倣工学を応用した新しい先進構造材料の開発に取り組んでいる。近年ではテントウムシ、ハサミムシなどの昆虫の翅の複雑な折り畳みパターンやその進化のプロセスを折紙の幾何学を用いて解析し、人工の展開構造の設計に応用する研究を行っている他、様々な形状のハニカム構造を1枚のシートから立体化する折紙工法を実用化するなど産学連携にも積極的に取り組む。主な受賞歴に、日本機械学会論文賞(2007年)、日本応用数理学会ベストオーサー賞(2019年)、文部科学大臣表彰若手科学者賞(2017年)など。
齋藤一哉氏は,ハサミムシと呼ばれる昆虫の後翅の折り畳みパターンを詳細に分析し、その奥に隠された精緻な幾何学的構造を明らかにするとともに,そこから得られた知見を用いて古代の昆虫との比較を幾何学的観点から行った。同氏の研究は、これまでの解析学的なアプローチによる数理生物学に加えて幾何学的アプローチによる数理生物学という新しい分野の可能性を提示したものであり、同時に、さまざまな工学的応用の広がりが期待されている。
ハサミムシの後翅は、広げた状態から1/15以下と昆虫の中でも最もコンパクトに折り畳むことができる上、支脈ヒンジ部の弾性を利用した高速収納や展開後の形状維持のためのスナップスルー構造など工学的に興味深い特性を多く備えている。しかし折線パターンが非常に複雑なため、その設計方法を理解するのは容易ではなく、工学応用が困難であった。齋藤氏はこの複雑な折線パターンが極めて単純な幾何学的ルールから作図できることを折紙の数理を用いて明らかにした。この発見によって、ハサミムシの折り畳みの優れた特性を、宇宙産業から日用品分野に至るまで、コンパクトさが要求されるさまざまな製品開発に利用する道が開けた。齋藤氏の論文は、2020年7月にトップジャーナルである米国科学アカデミー紀要の表紙を飾り、NHKをはじめ一般メディアでも紹介されるなど大きく注目されている。
さらに齋藤氏は、古生物学者と共同で化石記録を調査し、この幾何学的ルールが太古のハサミムシの先祖と考えられる昆虫の翅の折り畳みにも適用可能であることを示した。齋藤氏の共同研究者である古生物学者のPérez-de la Fuente博士は、オックスフォード大学自然史博物館のブログで「古生物学は過去だけでなく未来をも予測させる学問である」と述べている。
このように、齋藤一哉氏の業績は、折紙の数理によって昆虫の後翅の構造を解き明かし、その知見を用いて昆虫の進化に関わる古生物学に貢献しただけでなく、「折畳み」をキーワードとする多くの産業応用への道を開拓したものであり、生命科学分野および産業応用分野の両面から、現象数理学の発展に大きく貢献している。
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2021年度 授賞式・記念講演会
現象数理学三村賞:
稲葉 寿 氏(東京大学・教授)
現象数理学三村賞奨励賞:
石本健太 氏(京都大学・准教授)
日 時:2021年12月11日(土)14:30開始
開催方法: オンライン開催 Zoom社Webinar
● 受賞式のプログラム
- 14:30-14:50 授賞式
受賞者と受賞理由の紹介、賞の授与
- 15:00-15:50 記念講演1
現象数理学三村賞奨励賞受賞
石本健太 氏 「細胞たちの遊泳術、そしてその数理」
- 16:00-16:50 記念講演2
現象数理学三村賞受賞
稲葉 寿 氏 「人口と感染症の数理40年」
- 17:00~17:45 祝賀会
● 受賞者紹介
現象数理学三村賞受賞
稲葉 寿 氏
(東京大学大学院数理科学研究科・教授)
略歴
- 1982年3月 京都大学理学部数学系卒
- 1982年4月 厚生省人口問題研究所・研究員
- 1988年7月 ライデン大学理論生物学研究所および数学・コンピュータ科学研究所・訪問研究員
- 1989年11月 ライデン大学Ph.D.取得
- 1992年4月 厚生省人口問題研究所・主任研究官
- 1993年11月 厚生省人口問題研究所・世帯構造研究室長
- 1996年4月 東京大学大学院数理科学研究科・助教授
- 2007年4月 東京大学大学院数理科学研究科・准教授
- 2014年4月 東京大学大学院数理科学研究科・教授
現在に至る
研究分野・受賞など
人口学と感染症疫学における年齢構造化個体群ダイナミクスモデルの数理解析を専門とする。人口数理モデルの関数解析的研究をおこない、人口学の基本定理の現代数学的な研究に対して日本人口学会研究奨励賞を受賞(1988年)。その後、新たな学問分野としての数理人口学の形成・創出に努め、我が国で初の数理人口学テキストを出版、日本人口学会より学会賞を受賞(2004年)。また我が国において研究が立ち後れていた感染症数理モデルの研究・普及にも注力して、年齢構造化感染症モデルにおける閾値現象・分岐現象の解明、変動環境における基本再生産数の一般理論の提唱等をおこなってきた。2019年1月より2020年12月まで日本数理生物学会会長を務める。
稲葉寿氏は、人口学、理論生物学、感染症疫学等における数理モデル、とくに微分方程式を用いた構造化個体群モデル(structured population dynamics models)の開発と理論的解析の分野で我が国を代表する研究者である。理論的研究のみならず、若手の育成や社会への情報発信に精力的に取り組み、強いリーダーシップを発揮している。
稲葉氏は、1982年から厚生省(当時)の人口問題研究所に勤務し、その後、1996年に東京大学に移って現在に至っている。厚生省勤務時代から構造化個体群モデルや感染症モデルの課題に取り組み、オランダのライデン大学で、この分野の世界的な権威であるOdo Diekmann教授の下で学位を取得した。
新型コロナ感染症の世界的蔓延により今日広く知られるようになったSIR感染症モデルは、KermackとMcKendrickが1927年の論文で提唱したが、感染拡大の閾値に光をあてたこの先駆的な研究の重要性は長らく理解されなかった。ようやく1970年代後半から欧米でKermack—McKendrickの仕事を深い視点から見直す動きが始まり、個体の異質性を考慮した一般的な基本再生産数の概念を導入した画期的な論文がDiekmann、 Heesterbeek、 Metzによって1990年に発表された。同じ年、稲葉氏は、年齢構造をもつホスト集団に対する感染症の基本再生産数を定義した論文を発表した。この稲葉氏の研究成果は、その後の欧米における感染症モデルの研究に大きな影響を与えた。当時、我が国では感染症数理モデルに対する関心は薄く、基本再生産数の概念を知る人間は、一般社会はおろか、厚生省の内部でも皆無に近かった時代である。そうした環境の中で、稲葉氏が感染症モデルについて国際的に注目される先進的研究を行っていたのは特筆に値する。また、稲葉氏は2012年に、非一様な環境における基本再生産数の概念を確立し、上述のDiekmann、 Heesterbeek、 Metzの理論を拡張することに成功した。この成果も国際的に大変注目されている。
稲葉氏は、研究論文だけでなく、多くの入門書・専門書を執筆し、数理人口学や感性症数理モデルの分野における若手研究者の育成に多大な貢献している。昨今のCOVID-19の感染拡大を受けて、我が国でも感染症数理モデル研究の機運が高まっているが、それらの研究の先頭に立つ人たちの中に稲葉氏の薫陶を受けた人は少なくない。また、感染症モデルに対する社会的関心が高まる中で、ややもすれば誤解されがちな感染症モデルを人々が正しく理解できるよう、西浦博氏(現京都大学教授)らとともに、社会に対する情報発信を精力的に行っている。これらの活動は、学問的にも社会的にも非常に高く評価されるものである。
現象数理学三村賞奨励賞受賞
石本健太 氏
(京都大学数理解析研究所・准教授)
略歴
- 2010年3月 京都大学理学部卒業
- 2012年3月 京都大学大学院理学研究科修士課程修了
- 2015年3月 京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了
- 2015年4月 京都大学白眉センター・特定助教
- 2018年4月 東京大学大学院数理科学研究科・特任助教
- 2019年8月 京都大学数理解析研究所・准教授
現在に至る
研究分野・受賞など
研究分野は応用数学・流体力学・数理生物学(生物流体力学)。細胞スケールの流体力学の理論解析、大規模数値計算、及び生物データ解析を駆使して、複雑な流体現象・生命現象の解明に取り組んでいる。オックスフォード大学数学研究所・日本学術振興会海外特別研究員(2017年4月〜2019年2月)、JSTさきがけ研究者(数理構造活用領域、2019年10月〜現在)。主な受賞歴に、日本流体力学会論文賞(2014年)、日本物理学会若手奨励賞(2016年)、日本数学会応用数学研究奨励賞(2021年)、文部科学大臣表彰若手科学者賞(2021年)など。
石本健太氏は細胞レベルの微小生物の遊泳ダイナミクスに関する数理モデルを構築し、斬新かつ先駆的な研究を行ってきた。微小レベルの流体力学では、低レイノルズ数の場合に対応して、極めて粘性の高い媒質内の運動を示し、日常スケールの流体力学とは大きく異なった現象が現れる。例えば、精子遊泳などの現象において、高精度の数理モデリングの手法を展開することにより、従来知ることのできなかった受精ダイナミクスを再現することに成功した。また、実際の生物画像データの解析やデータ駆動型数理モデリング、および流体力学に基づいた新たなデータ活用法の研究も推進した。
微生物などの微小物体の周りの流体はストークス方程式でよく記述されるが、方程式の時間反転対称性によって、生物の運動は強く制限を受ける。系の最も基本的な定理の一つである「帆立貝定理」に対して、山田道夫氏との共同研究により厳密な証明を与え、慣性を含む場合や非ニュートン流体への拡張を行った。また、軸対称物体の非線形周期運動を表すジェフリーの解を,多くの微生物遊泳を含む「螺旋物体」のクラスに拡張するなど、流体中の運動に基づく物体形状の分類理論を発展させた。生態系内では、しばしば壁面境界の存在によって微生物が壁面付近に凝縮するが、このような現象が系の力学系の構造で理解できることを示した。特に、流れが2次元的である場合は系の背後にハミルトン構造が存在することを発見した。
さらに、生物画像データの解析と数理モデリングについても卓越した成果を挙げている。ヒト精子等の高速撮影顕微鏡画像から鞭毛波形を抽出し, データから得られた複雑な流れパターンに対して主成分分析を行うことにより、流れ場がストークス方程式の少数の基本解の線形結合で記述できることを明らかにした。この次元圧縮の手法を用いて,粘弾性流体中の精子遊泳の特徴づけや精子集団ダイナミクスのデータ駆動型数理モデルの構築を行った。
石本健太氏は低レイノルズ数流れの流体力学,複雑流体,ソフトマター・アクティブマターに関する流体力学,微生物の遊泳運動,および関連する数学解析で顕著な成果を挙げてきた。これらの研究は、基礎生物学・生理学などの分野や医学、工学への応用も見込まれている。以上、石本健太氏の業績は、現象数理学の形成と発展に深く寄与するものであり、その多大な貢献をここに高く評価する。
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2020年度 授賞式・記念講演会
金子邦彦 氏(東京大学・教授)
李 聖林 氏(広島大学・教授)
日 時:2020年12月23日(水)14:30開始
開催方法:
Zoom社のWebinar機能を使用しオンラインで開催
● 受賞式のプログラム
- 14:30-14:50 授賞式
受賞者と受賞理由の紹介、賞の授与
- 15:00-15:50 記念講演1
李 聖林 氏 「生命のパターン形成の数理: 私の歩んできた道、現在、そしてこれから」
- 16:00-16:50 記念講演2
金子邦彦 氏 「普遍生物学 ⇔ 数理 :力学系++?」
- 17:00~17:45 祝賀会
● 受賞者紹介
金子邦彦 氏
(東京大学 大学院総合文化研究科・教授)
略歴
- 1979年 3月 東京大学理学部卒業
- 1981年 3月 東京大学大学院理学研究科修士課程修了
- 1984年 3月 東京大学大学院理学研究科博士課程修了
- 1984年 4月 日本学術振興会・研究員
- 1984年 10月 ロスアラモス研究所・博士研究員
- 1985年 4月 東京大学教養学部物理教室・助手
- 1990年 8月 東京大学教養学部基礎科学科・助教授
- 1994年 8月 東京大学教養学部基礎科学科
(その後、同大学院総合文化研究科)・教授
現在に至る
研究分野・受賞など
理論物理学(非線形ダイナミクス、カオス、非平衡現象論)、複雑系、理論生物学、普遍生物学を専門とする。これまで、イリノイ大学客員、ロスアラモス研究所ウラム・フェロー、Freiburg大学、エコールノルマル・リヨン校客員教授、英国EPSRCフェロー、サンタフェ研究所外部ファカルティ、プリンストン高等研究所客員、大阪大学生命機能研究科客員教授、COE 「複雑系としての生命システムの解析」代表、 ERATO複雑系生命プロジェクト総括、生命動態研究教育拠点複雑系生命システム研究センター長、連携生物普遍性研究機構長などを兼務。スタニスラフ・ウラム・フェロー賞(1988)西宮湯川記念賞(1992) IBM 科学賞(1995)仁科記念賞(2010) 日本進化学会学会賞・木村資生記念学術賞(2020)を受賞。
金子邦彦氏は、大自由度の非線形力学系のダイナミクスの基本メカニズムに関して、比較的単純な計算機モデルを運用しながら数理的に解析する研究手法を1980年代に世界でいち早く導入し、その後長期にわたって大自由度力学系研究の国際的なリーダーの一人として活躍してきた。とくに、金子氏が研究経歴の初期に開発したCML(coupled map lattice)やGCM(global coupled map)は、大自由度力学系の複雑なダイナミクスを広く再現する計算手法として、時空カオスの発生機構の解明、様々な空間パターン形成機構の解明、大自由度系における階層構造や集団運動の発生機構の解明などに広く用いられ、これらの研究を包括して扱う「複雑系」と呼ばれる研究分野を切り拓く強力なツールとなった。折しも“Complex Systems” という研究分野が世界各地で同時並行的に起こったが、金子氏を中心とした日本の複雑系グループは米国サンタフェ研究所のグループとともに複雑系研究で世界を牽引してきた。
1990年代より、金子氏は複雑系研究の手法を種々の生命現象の解明に運用することで、複雑系生命科学あるいは普遍生物学と称される分野を開拓した。とくに、細胞の分化や多細胞化がGCMによる階層構造の発現機構と関連づけられることや、遺伝情報の伝達のためには細胞内で少数しか存在しない分子の働きが重要であることを理論モデルから主張し、実験家との連携でこれらの主張の正当性を確認した。さらに、非遺伝子的な要因に由来した表現型のゆらぎが表現型の進化速度と比例するという、生物進化における揺動応答関係を提唱し、並行して共同研究者による大腸菌での実証がなされた。このように、生命現象を大自由度力学系のシステム論的な見方から数理的に追求する金子氏の視点は、生命科学における21世紀の潮流形成に大きな影響を与えている。
以上、金子氏は、自然現象・生命現象と数理科学を結びつける新たな手法を次々に開拓し、とくに非線形数理・非平衡物理学を通して生命現象の本質を深いレベルで理解するための先導的な役割を果たしてきた。さらに近年は、従来の理工学における分野間の障壁のみならず、人文科学と数理科学の境界も突破しようとしており、分野融合研究の先駆者としても活躍中である。これら金子邦彦氏の業績は、現象数理学の形成と発展に深く寄与するものであり、その多大な貢献をここに高く評価する。
李 聖林 氏
(広島大学 大学院統合生命科学研究科・教授)
略歴
- 2000年2月 韓国 釜山国立大学数学科卒業
- 2002年2月 韓国 釜山国立大学大学院数学科卒業
- 2008年3月 岡山大学大学院環境学研究科修士課程修了
- 2008年4月~2010年3月 日本学術振興会特別研究員DC1
- 2008.11~2009.9:イギリス オックスフォード大学・数理生物学センター留学
- 2010年3月 岡山大学大学院環境学研究科博士課程早期修了
- 2010年4月~2014年3月
日本学術振興会特別研究員PD・東京大学大学院数理科学研究科・
理化学研究所CDB・広島大学大学院理学研究科
- 2014年4月 広島大学大学院理学研究科・助教
- 2016年10月〜2020年3月 JSTさきがけ研究員(兼任)
- 2017年4月 広島大学大学院理学研究科・准教授
- 2020年4月 広島大学大学院統合生命科学研究科・教授
現在に至る
研究分野・受賞など
研究分野は数理生物学、応用数学。特にパターン形成の数理モデリングを専門とする。2009年イギリスオックスフォード大学に留学し、本格的に生命科学における数理モデリングを学ぶ。それ以降、主に細胞生物学・発生生物学における生命現象の解明に従事し、2016年頃からは臨床医学の研究者とも協働研究を広め、現在は生命科学と医学の両方の分野で異分野融合研究を進めている。2017年から数理生命科学におけるA3 日中韓の日本側の若手代表、2018年から国際誌PLOS ONEの編集委員を務めている。日本数学会、日本応用数理学会、分子生物学会、日本皮膚科学会、日本遺伝学会等で招待講演。
李聖林氏は、広島大学で「数理生命医学モデリング研究室」を主宰し、数理生物学と数理モデリングをベースに、生命科学、医学、数理社会学など多方面でめざましい活動を続けている。
医学関係では、蕁麻疹が起こるメカニズムを、皮膚に現れる皮疹(膨疹)の形に着目して数理モデルを用いて解明した仕事は特筆に値する。蕁麻疹の膨疹には、さまざまな大きさや形のものがあることが知られていたが、その理由は全くわかっていなかった。李聖林氏は、生命現象の数理モデリングに関してこれまで培った豊富な経験から、膨疹のパターン形成には、従来から知られていたヒスタミンの活性化作用に加えて、それを抑制する作用も重要な役割を果たしていることを数理モデルで提案し、膨疹の多様なパターンを再現することに成功した。これは、それまで医学系の専門家が全く予想していなかった画期的な発見で、蕁麻疹の発生メカニズムに新しい理解をもたらすものである。現在、李聖林氏は、広島大学の医学系の研究者ら(皮膚科)と共同で、数理モデルで得られた知見と実験を組み合わせながら、従来と異なる全く新しい観点から分子レベルの機序解明を進めており、この研究が進展すれば、蕁麻疹の形態分析に基づく新たな病型分類や治療法の確立につながる可能性があると期待される。この仕事は、数理モデルを核にした医療への新しいアプローチのあり方を提起するものとして高く評価される。
李聖林氏は、この他、基礎生命科学の分野でも多くの実績を挙げている。例えば、発生初期過程などにおいて単一の細胞から多様な種類の細胞が分化する非対称細胞分裂のプロセスや、細胞核内クロマチンの空間構造再編に見られるパターン形成現象の研究など、これまで数理的視点による研究がほとんどなされていなかったテーマに対して、数理モデルの構築と解析を用いた新しいアプローチを次々と提唱している。
李聖林氏は、現象の仕組みの理解にとどまらず、それに基づいてシステムを実際に制御する試みや、それらの成果の実社会への実装をめざす研究を幅広く行っている。Oxford大学の数理生物学チームとも長年にわたって密接な共同研究を続けており、将来、国際的な研究活動がさらに大きく発展することが期待される。国内のみならず国際的なグローバルリーダーとして活躍する資質を十分に有しており、その実績と将来性は高く評価される。
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2019年度 授賞式・記念講演会
合原一幸 氏(東京大学・教授)
坂上貴之 氏(京都大学・教授)
◆ 次の通り、授賞式と、受賞者による記念講演会を
行います。
● 授賞式のプログラム
時:2019年12月21日(土)
所:明治大学中野キャンパス 低層棟5Fホール
(入場自由)
- 15:30-15:50 授賞式
受賞者と受賞理由の紹介、賞の授与
- 16:00-16:50 記念講演1
坂上貴之 氏 「数理科学で見つめる『ながれ』の現象」
- 17:10-18:00 記念講演2
合原一幸 氏 「複雑系数理モデル学の展望」
● 受賞者紹介
合原一幸 氏
(東京大学生産技術研究所・教授,同ニューロインテリジェンス国際研究機構・副機構長)
略歴
- 1977年 3月 東京大学工学部電気工学科 卒業
- 1979年 3月 東京大学大学院工学系研究科電子工学専攻修士課程 修了
- 1982年 3月 東京大学大学院工学系研究科電子工学専攻博士課程 修了
- 1982年 4月 日本学術振興会奨励研究員
- 1983年 4月 東京電機大学工学部電子工学科助手
- 1986年10月 東京電機大学工学部電子工学科専任講師
- 1988年10月 東京電機大学工学部電子工学科助教授
- 1993年 4月 東京大学工学部助教授
- 1995年 4月 東京大学大学院工学系研究科助教授
- 1998年 4月 東京大学大学院工学系研究科教授
- 1999年 4月 東京大学大学院新領域創成科学研究科教授
- 2003年10月 東京大学生産技術研究所教授
現在に至る
研究分野・受賞など
合原一幸氏は、「数理工学」および合原氏が世界に先駆けて提唱した、カオス、フラクタル、複雑ネットワークなどを工学的立場で研究する「カオス工学」の両面の観点から、科学技術振興機構のERATO合原複雑数理モデルプロジェクトや内閣府/日本学術振興会のFIRST合原最先端数理モデルプロジェクトなどを通じて、複雑システム科学技術の諸問題を解くための「複雑系数理モデル学」の構築とその具体的な分野横断的科学技術への応用研究に取り組んできている。これらの業績によって、日本応用数理学会業績賞(2017年)、計測自動制御学会論文賞(2015年)、システム制御情報学会論文賞(2014年)、電子情報通信学会NOLTA Best Paper Award(2013年)、Daiwa Adrian Prize 2010(2010年)、東京テクノフォーラム21ゴールドメダル賞(2000年)、日本神経回路学会論文賞(1997年)、(財) 国際 AI 財団AI 学術研究賞(1992年)などの賞を受賞している。
脳、生命、癌、免疫、新興・再興感染症、環境、エネルギー・電力、通信、交通、経済、地震、安全など21世紀の重要研究課題は、多面的アプローチを必要とする広義の複雑系の問題として捉えることができる。
特に、超高齢化が進む現代社会において医療費の高騰は大きな社会問題であるが、最適な治療法の開発は医療費高騰を緩和させる一つの重要な解決法であり、そうした研究への寄与は現象数理学の重要な使命の一つである。合原氏は前立腺癌の間欠的内分泌療法がハイブリッド力学系として記述できる可能性を看破し、医師などの共同研究者とともにその治療動態を説明する数理モデルを世界で初めて構築した。内分泌療法は前立腺癌に対する治療法として広く採用されているが、長期間継続的に治療を行うと癌細胞が耐性を獲得して増殖を再開する「再燃」を生じることが知られている。これに対して、Bruchovsky博士らが、内分泌療法の中断と再開を繰り返す間欠的内分泌療法を提案した。合原氏らはこの療法を数理的にモデリングしてその非線形ダイナミクスを解明するとともに、個々の患者の臨床データを用いてその有効性を検証した。
このような画期的な仕事は、カオスニューラルネットワークの提唱に始まる同氏の不断の研究によってなされたものである。同氏は、カオスや複雑系科学技術の重要性に早くから着目し、複雑なシステムを数理モデリングするための基礎的理論の構築およびその広範な科学技術分野への応用に関する研究を、主として数理工学とカオス工学の観点から行ってきた。そして複雑系の数理モデリングと解析のために、(1) 複雑系制御理論、(2) 複雑ネットワーク理論、および (3) 非線形データ解析とデータ駆動モデリングからなる理論的プラットフォームを構築した。医療への上述の貢献は、こうした基礎理論の積み上げがあって初めて可能となったのであり、基礎的研究と応用研究のみごとなつながりを示す成果であるとともに、現象数理学研究の卓抜なモデルケースとして高く評価される。
坂上貴之 氏
(京都大学大学院理学研究科・教授 以下兼担
京都大学数理解析研究所数学連携センター特任教授,理化学研究所数理創造プログラム客員主管研究員,
科学技術振興機構戦略的創造研究推進事業さきがけ「数学構造」領域総括)
略歴
- 1994年 京都大学理学部 卒業
- 1996年 京都大学大学院理学研究科博士前期課程修了
- 1998年 同大学院博士後期課程中退
- 1998年 名古屋大学大学院多元数理科学研究科 助手
- 1999年 京都大学 博士(理学) 授与
- 2003年 北海道大学大学院理学研究科 助教授(のち准教授に改称)
- 2009年 北海道大学理学研究院 教授
- 2013年 京都大学大学院理学研究科 教授(現在に至る)
現在に至る
研究分野・受賞など
専門分野は応用数学(数理流体力学)。 大規模数値計算から数学解析までの様々なアプローチにより複雑流体現象の数理的側面の解明を目指している。また、京都大学理学研究科附属サイエンス連携探索センター学際融合部門長、数学よろづ相談室(マス・クリニック)などの事業を通して、数学と諸分野・産業連携研究も推進している。日本応用数理学会、日本数学会、日本流体力学会、SIAM、アメリカ物理学会(APS)会員。平成12年日本数学会建部賞奨励賞および日本応用数理学会JJIAM論文賞を受賞。
我々の身の回りに数多く現れる流体現象は、多くの研究者を魅了してきた。しかし、その数理解析には多くの困難を伴い、現在でも未解決な問題が多い。
坂上貴之氏の専門は数理流体力学であり、流体運動の数理的側面を大規模計算から数学解析までの幅広いアプローチで解明することを目的としている。同氏の研究としては、渦の運動を調べる流体モデルの数学解析およびその数値解析、流体に関連する方程式に現れる特異点の解析や流線のトポロジーデータ解析などが挙げられる。例えば、同氏は多重連結領域、球面、トーラス面といった幾何学的な特徴が異なるさまざまな曲面上の完全流体における点渦系の運動(渦力学)の理論研究と、本理論を用いた非圧縮流体の数理流体モデルの構築を行っている。流線のトポロジーデータ解析では、横山知郎氏(京都教育大学)とともに、構造安定なハミルトンベクトル場が生成する流線の位相構造を分類してそれらを特徴づける文字列表現を開発し、さらに、流線位相構造によって分割される流体領域の連結成分の隣接関係をグラフ理論における木表現へと一対一に対応させることに成功している。また、宇田智紀氏(東北大学)を共同研究者に加え、これらの離散組み合わせ構造を部分円順序根付き木表現(COT 表現)として統一的に記述して、自動変換プログラムとして実装するなどの画期的な成果を上げている。
以上のように、坂上貴之氏は、モデルを解析的に調べるだけでなく、解析的な手法だけでは解明が困難な状況に対しては、新しい数値解析法を開発することで流体現象を深く考察している。同氏の研究は、数値流体力学を数理解析・シミュレーションのみならず、モデリングの観点からも扱おうとするものであり、現象数理学の新しい扉を開くものと言える。理学的・工学的な側面から、今後新たなステージに発展していくことも大いに期待できる。
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2018年度 授賞式・記念講演会
小林 亮 氏(広島大学・教授)
水藤 寛 氏(東北大学・教授)
◆ 次の通り、授賞式と、受賞者による記念講演会を
行います。
● 授賞式のプログラム
時:2018年12月22日(土)
所:明治大学中野キャンパス高層棟3階
311講義室(入場自由)
- 15:30-15:50 授賞式
受賞者と受賞理由の紹介、賞の授与
- 16:00-16:50 記念講演1
水藤 寛 氏 「臨床医学と数理科学の協働によって生み出されるもの」
- 17:10-18:00 記念講演2
小林 亮 氏 「生物と数学、そしてロボットへ」
● 受賞者紹介
小林 亮 氏(広島大学大学院理学研究科・教授)
略歴
- 1979年3月 京都大学理学部数学科卒業
- 1981年3月 京都大学大学院工学研究科数理工学専攻修士課程修了
- 1982年9月 京都大学大学院工学研究科数理工学専攻博士課程中退
- 1982年10月 広島大学理学部助手
- 1989年4月 龍谷大学理工学部講師
- 1995年4月 北海道大学電子科学研究所助教授
- 2004年3月 広島大学大学院理学研究科教授
現在に至る
研究分野・受賞など
モデリングを生業とする応用数学者。1980年代独自のフェーズフィールドモデルを開発し、世界で初めて3次元の樹枝状結晶成長のシミュレーションに成功した。2000年ごろから徐々に生物に軸足を移し、真正粘菌変形体についての研究で、2008年にIg Nobel 賞認知科学賞、2010年には Ig Nobel 賞交通計画賞を中垣俊之氏らと共同受賞。現在は、生物学・ロボット工学の研究者とともに、生物のようにしなやかにタフに動き回れるロボットの開発を目指している。
現代世界の様々な場面で生じる複雑な現象の仕組みを、数理モデリングを通して解明していくことは、現象数理学の中心的課題である。小林亮氏は、こうした現象数理学の発展に、これまで多大な貢献をしてきた。
小林亮氏の初期の重要な仕事は、過冷却液体の凝固過程に現れる3次元樹枝状結晶成長を巨視的視点から解明することに成功したフェイズフィールドモデルの構築である。小林氏は、巨視的モデルを構築するとともに、その計算機シミュレーションに基づいて樹枝状結晶の成長過程を再構成し、世界で初めて映像化した。この研究は結晶学や非線形物理学のみならず、工学、生物学、材料科学などの分野に対して大きなインパクトを与え、小林氏はフェイズフィールドモデルを駆使する応用数学の第一人者となった。
その後小林氏は、生物インテリジェンスの解明という新たな課題に取り組んだ。真性粘菌による迷路解きを発見した実験家と協働して、真性粘菌のインテリジェンス発動の仕組みを数理モデルから明らかにした。これは、単に数理生物学という一つの学問分野に貢献しただけでなく、生き物が持つ賢明さとはなにかという哲学的な問題を現象数理学の視点から解明したきわめて独創性に富む研究である。
最近は、変化する環境条件の中で生き抜く生き物の柔軟さの本質が「自己組織化」あるいは「自律分散」であることを数理モデルの視点から明らかにするとともに、得られた数理モデルにもとづいた設計図を提案して、生き物のように柔軟な機能を持つロボットを作成するという新しい研究に取り組んでいる。同氏の研究スタイルは、生物学者と協力して生き物固有の柔軟な運動についての理解を深めた上で、それを数理モデルで記述し、次にロボット製作者と協力して新発想のロボットを作るという大きな広がりをもつものであり、現象の理解からものづくりまでを一本につなぐ融合研究を展開している。これは、現象数理学の新しい方向性を示唆するものとして高く評価される。
以上のように、小林亮氏はこれまで一貫して現実世界の複雑な現象を深く理解した上で、その本質を記述する優れた数理モデルを構築し、そこから得られた知見をものづくりに応用してきた。こうした活動により、小林亮氏は現象数理学の発展に大きく貢献している。
水藤 寛 氏(東北大学材料科学高等研究所・教授)
略歴
- 1980年4月 千葉大学理学部物理学科・入学
- 1986年3月 千葉大学理学部物理学科・卒業
いくつかの会社勤務等を経て
- 1990年12月 (株)計算流体力学研究所・研究部研究員 (1997年3月まで)
- 1996年4月 千葉大学大学院自然科学研究科博士後期課程・入学
- 1998年3月 千葉大学大学院自然科学研究科博士後期課程・修了
- 1998年3月 博士(工学)(千葉大学)の学位取得
- 1998年4月 千葉大学工学部・助手
- 2002年4月 岡山大学環境理工学部・助教授
- 2007年10月 JST 数学領域・さきがけ研究者(2011年3月まで)
組織名変更による所属変更、准教授への職名変更等を経て
- 2010年1月 岡山大学大学院環境学研究科・教授
- 2015年4月 岡山大学大学院環境生命科学研究科・副研究科長
- 2017年4月 東北大学材料科学高等研究所・教授
現在に至る
研究分野・受賞など
応用数学、特に数値シミュレーションを用いて2002年頃からは環境科学分野と、2007年頃からは臨床医学の研究者との協働研究に従事。2013年10月に第2回藤原洋数理科学賞大賞を受賞、2010年10月からJST数学領域、2015年10月からJST数理モデリング領域CREST研究代表者。日本脈管学会、日本小児循環器学会、日本医学放射線学会臨床大会、日本心臓血管画像動態学会等で招待講演。
現代社会が抱える様々な問題に果敢に立ち向かい、本質を捉えた数理モデルを構築してその解析から得られた知見を問題解決に生かすことは、現象数理学の重要な使命の一つである。特に近年は、社会的問題のみならず、医療現場のように個別性の高い問題に直面する場面においても、現象数理学を用いたアプローチに大きな期待が寄せられるようになりつつある。水藤氏は、早くから現場の医療と数理モデリングが融合する新領域の開拓に率先して取り組んでおり、関係者から大きな信頼を勝ち得ている。
医療機器や医薬や治療技術の急速な進歩によって現代医療が高度化する一方で、超高齢化社会を迎えて医療現場は数多くの困難に直面しており、その対応を支援する新しい手法が一層強く求められるようになった。流体現象のシミュレーションとその可視化を得意とする水藤寛氏は、当初はマクロ流体現象が主題となる環境問題の研究に従事していたが、血液流に代表される人体内部の流体問題へと次第に軸足を移し、医療現場との連携を深めるようになった。臨床医療の現場で長年にわたって蓄積された熟練医の経験知の言語化・アルゴリズム化に取り組むとともに、形状の個人差の大きい大動脈内の拍動流という複雑流体のふるまいをシミュレートしコンピュータ上で可視化して、静止画像では判断が難しい大動脈瘤の病態メカニズムの理解に大きく貢献した。同氏のモデリングの手法は、患者一人ひとりに日々向き合っている現場の医師からも高い評価を受けている。さらにアウトリーチ活動も活発に展開し、医学関連学会でのシンポジウム開催や高校生への数理科学の浸透など、未来につながる連携の輪を広げる努力も着実に進めている。
以上のように、医師と共に病態メカニズムを理解し方策を探るという水藤寛氏の研究スタイルとその優れた成果は称賛に値するものである。水藤寛氏は高い理念に基づいて新たな分野を開拓し、実践と理論の両面から現象数理学の発展に大きく貢献している。
※ この授賞式の前に、2017年度の受賞者である西浦廉政 氏による「現象数理講演会」が開催されます(会場:高層棟 515教室)。
是非こちらも合わせてご参加ください。
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2017年度 授賞式・記念講演会
西浦廉政 氏(東北大学・特任教授)
望月敦史 氏(理化学研究所・主任研究員)
◆ 次の通り、授賞式と、受賞者による記念講演会を
行います。
授賞式のプログラム
時:2017年12月22日(金)
所:明治大学中野キャンパス高層棟3階
311講義室(入場自由)
- 15:30-15:50 授賞式
受賞者と受賞理由の紹介、賞の授与
- 16:00-16:50 記念講演1
望月敦史 氏 「生命のネットワークシステムの動態を決定する構造理論」
- 17:10-18:00 記念講演2
西浦廉政 氏 "Mathematics of Patterns"
● 受賞者紹介
西浦廉政 氏(東北大学・特任教授)
略歴
- 昭和48年3月 京都大学理学部 卒業
- 昭和50年3月 大阪大学大学院理学研究科修士課程 修了
- 昭和53年3月 京都大学大学院理学研究科博士課程 単位修得退学
- 昭和53年4月 京都産業大学理学部 講師
- 昭和57年4月 京都産業大学理学部 助教授
- 昭和60年4月 京都産業大学計算機科学研究所 助教授
- 平成1年4月 広島大学理学部 助教授
- 平成3年4月 広島大学総合科学部 教授
- 平成7年4月 北海道大学電子科学研究所 教授
- 平成24年2月 東北大学原子分子材料科学高等研究機構 教授・PI
- 平成29年4月 東北大学材料科学高等研究所・特任教授
現在に至る
研究分野・受賞など
この間、ミシガン大学数学教室客員助教授、ハイデルベルグ大学応用数学研究所客員研究員、ブリガムヤング大学数学教室客員研究員、アムステルダム数学中央研究所客員研究員、テキサス大学(オースチン)TICAM Faculty Research Fellow、北海道大学電子科学研究所所長、科学技術振興機構(JST): 戦略的創造研究推進事業「数学と諸分野の協働によるブレークスルーの探索」研究総括、CREST研究領域「科学的発見・社会的課題解決に向けた各分野のビッグデータ利活用推進のための次世代アプリケーション技術の創出・高度化」領域アドバイザーを兼務.日本数学会賞秋季賞(2002年9月)、Lecturer for Distinguished Colloquium Series of IAM-PIMS-MITACS, UBC, Vancouver(2008年4月)、文部科学大臣表彰科学技術賞受賞(2012年4月)、日本応用数理学会フェロー(2014年6月)、日本応用数理学会論文賞(JJIAM部門、2016年9月)を受賞.
現実世界に現れる時空間パターンの生成メカニズムの解明は、現象数理学の重要な課題の1つであるが、アラン・チューリングが反応拡散型方程式を介して多様なパターンの出自を統一的視点から示唆して以来、その数理構造の解明という大きな課題がこの分野に提示された.西浦廉政氏は、この課題に取り組んだ研究者の一人として、反応拡散型方程式のダイナミクスを研究し、分岐理論、特異摂動理論を用いた反応拡散系の大振幅の秩序解の存在および安定性、スカラーとシステムをつなぐ系としての shadow system の提案、構造探索型数値計算を用いた自己複製・自己崩壊など多彩な反応拡散系のダイナミクスの解明、さらにそれらの手法を2相対流系、ポリマー系など他分野にも適用し、多数の優れた業績がある.なかでも、反応拡散系の大振幅定常解や周期解の安定性解析を可能にするSLEP法の開発、数理的には困難と思われていた動的な空間局在解の衝突ダイナミクス等の強い相互作用の研究は重要であり、この分野に大きな影響を与えている.以上の通り、多様かつ複雑なパターンダイナミクスの仕組みを読み解くための、新たな視点とその手法の開発により、パターンの生成・複製・衝突・崩壊現象の解明のために数理的方法論の確立に対して多くの業績を上げ、現象数理学の発展に大きく貢献した.
望月敦史 氏(理化学研究所望月理論生物学研究室・主任研究員)
略歴
- 平成6年3月 京都大学理学部 卒業
- 平成8年4月 九州大学大学院理学研究科修士課程 修了,博士後期課程に進学
- 平成10年7月 九州大学大学院理学研究科博士後期課程 退学
- 平成10年8月 九州大学理学部 助手
- 平成14年9月 岡崎国立共同研究機構 基礎生物学研究所 助教授
- 平成20年7月 理化学研究所 主任研究員
現在に至る
研究分野・受賞など
これまでに一貫して、様々な生命現象に対して、数理的手法を用いた研究を続けてきた。多くの実験生物学者との共同研究を行い、仮説検証的解明を進めてきた。加えて、生体分子が相互作用する複雑なシステムに対し、そのネットワーク構造だけから振る舞いを決定する、「構造理論」を二つ開発した。一つ目は、遺伝子制御ネットワークの構造だけから、力学的に重要な遺伝子を決定するLinkage Logicである。二つ目は化学反応ネットワークの構造だけから、酵素の活性変化に対する物質濃度の応答を決定するStructural Sensitivity Analysisである。これらの成果より、第11回日本学術振興会賞を受賞した。
生命機能は、未だその仕組みが分かっていない部分の多い研究分野の一つである。なかでも、実験的に明らかになってきた個別の生体分子の働きがいかに全体として機能を発現するのかという総合的視点からの理解は、現象数理学の重要課題の一つである。望月敦史氏は、生体分子が互いにかかわりあう制御ネットワークの構造から、生体機能の仕組みを理解しようというアプローチで、多くの生体現象の解明に貢献してきた。例えば、マウスの左右の違いを作り出す遺伝子ネットワークやホヤの細胞分化を司る遺伝子ネットワークについて、それらの構造に基づいたダイナミクスの解析を行った。最近では、制御ネットワークが生体システムのダイナミクスに与える制約を知る新しい理論であるLinkage Logic を提唱している。これは、システムの定常状態の非共存性やダイナミクスの独立性を制御ネットワークの構造のみから採ることのできる強力な方法論である。同氏はこの理論を用いて、遺伝子発現の制御に関する予測や、複雑なネットワークのダイナミクスを少数の分子種のダイナミクスで説明することなどに成功している。以上のとおり、望月氏は、生体の制御ネットワーク構造のみから多くのことが理解できる新しい方法論を多様な具体例を通して提唱し、生命科学分野の現象数理学の発展に大きく貢献している。